見に行こうかな15
[東京都] 25年前に住んでいた下宿「富士見荘」 (2008.1.25)
[東京都] 野沢荘の今は・・・ (2008.1.26)
[東京都] 斉藤歯科 (2008.1.24)
[東京都] 長栄荘(丁目までは不明)は無事ですか (2008.1.22)
[東京都] 東京都世田谷区太子堂の太子堂小学校 (2008.1.22)
[東京都] 25年前に住んでいた下宿「富士見荘」 (2008.1.25)
[東京都] 野沢荘の今は・・・ (2008.1.26)
[東京都] 斉藤歯科 (2008.1.24)
[東京都] 長栄荘(丁目までは不明)は無事ですか (2008.1.22)
[東京都] 東京都世田谷区太子堂の太子堂小学校 (2008.1.22)
連日桜木町(みなとみらい)での用事で横浜方面に行く、そのついでに寄り道。
[神奈川県] 幼少時に通った「白幡保育園」 (2008.6.18)
白幡保育園は地図上に掲載されているので事前調査はありません。
そうなると調査の殆どは「山本荘」、住所の白幡仲町22-1を調べることにする。
最初に用いたのは、調布市立中央図書館にある1995年神奈川区住宅地図。
調布図書館は東京都の図書館でありながら神奈川県や埼玉県、その他地方の地図が
蔵書されているほか、横浜市各区の旧地図も閲覧出来重宝している。
青葉区では神奈川区の旧地図を見たくても近くには置いていないので尚更である。
ここで指定された番地で山本荘を探すが見当たらない。白幡仲町隅々まで探しても
無い。依頼文からも95年時点で既に無くなっているものと推測し、一旦終了。
後日、神奈川県立図書館へ(綱島文具店の項参照)
ここで先ず30年前の1978年(昭和53年版)住宅地図で22-1の位置を確認すると
現在と番地表記が異なっていることに気付く。
地番整理だろうと今度は白幡仲町の範囲で22番地を目を凝らして探す。
すると綱島街道付近に山本荘を発見する。番地表記は22-1なので間違いない。
最新地図で同位置を確認すると住所は48-36、既に別のアパートに変わっていた。
神奈川区の地図を追ってみると、山本荘は1990年まで存在していたことを確認。
一旦空白(空地)の後、1994年に現在のアパートが建ったらしい。
場所が判ったので山本荘の在った場所に向かうことに。この日は西区東久保町の
綱島文具店を先に訪れることにしたため、こちらは再度桜木町に向かう翌々日に。
2日後桜木町へ向かう途中、手前の大口で下車。ここから徒歩で現地へ向かう。
西へ700m位歩くこと10分弱、山本荘の在った現リバーハイツヤマザキへ(地図)
リバーハイツは既に築15年以上経過してるだけあって、郵便ポストや階段はかなり
錆付いていたりと老朽化が目立つ。向かいの青葉荘は30年以上そのままみたいだ。
ハイツ隣の民家の庭に主人らしき人が丁度居たので、山本荘の事や地番整理の事、
当時の話を色々聞く事ができた。
ハイツの写真を収め綱島街道を渡り、KDDIの交換局を抜け白幡保育園へ。
途中古めかしい酒屋があったので撮影。依頼者はこの酒屋覚えてるだろうか…
園舎については前日GoogleEarthと国土交通省の航空写真で比較した結果、おそらく
建て替わっているものと思われる。遊具も新しいので全然違うだろう。
平日開いてる保育園を撮るのは気が引けるがさっさと撮影し、今度は商店街へ。
白幡仲町のメインストリート(時間オーバーで子安変電所周辺のみ)を撮影し完了。
変電所前のバス停から横浜駅経由で桜木町(みなとみらい)に向かいました。
[神奈川県] 横浜市西区東久保町23~22 富士見丘高中前 (2008.3.21)
[神奈川県] ポチ袋を売っていた雑貨屋さん (2008.6.9)
二つ並べたのは同じ場所であろうとの判断です。
3月の富士見丘高中前の文具屋は、タイトルの住所(東久保町)と地図上の指定場所
(神奈川区)、富士見丘学園の場所(旭区)が全て異なっておりサッパリだったのが、
6月のポチ袋の調査中、かつて東久保町に富士見丘学園があったことを知り再着手。
「文具店と雑貨屋」「小さな袋とポチ袋」、富士見丘高の近所と幼稚園の近所は少々
異なるが、富士見丘高校の近所には江森商店という菓子店が地図で確認できる。
6月初旬の第二ふじみハイツの調査ついで、調布図書館に置いてある1995年西区
住宅地図を用いて幼稚園(トキワ保育園)周辺の雑貨店を当たってみる。
ここで富士見丘学園が東久保町にあったこと、学校の前に文具店「綱島文具店」を
確認。しかし「雑貨屋」らしき店は見当たらない。95年以前に閉店した可能性も高い。
後日、桜木町で営業があった帰り、神奈川県立図書館4階「かながわ資料室」へ。
ここに置いてある26年前からの西区の住宅地図を使い地歴を追ってみる。
1982年当時から菓子店・文具店は存在していたことを確認。
また学校前にある文具店は当時から綱島文具店のみしかないようだ。
ただ、綱島文具店は2003年の地図より表記抹消。閉店したのだろうか?
トキワ保育園付近には食品店が1店あったが、雑貨店・生活用品の店のようなものは
見当たらない。少し東にある「つくし愛児園」付近も当たってみたが手掛かりは無し。
ここまで来るとポチ袋は綱島文具店、駄菓子は江森商店と判断する以外難しいので
これらを頼りに訪問することにする。時刻は夕方5時過ぎ。
帰りルートなら白幡保育園に丁度寄れそうだが既に3ヶ月以上前の依頼であるのと、
翌々日にまた横浜方面には出れるので、この日は東久保町に行って見る。
県立図書館から横浜駅根岸道路・くらやみ坂、藤棚商店街と歩き七曲坂下へ。
七曲坂の階段を上りきり、江森商店・綱島文具店のある場所に到着。
学校は既に取り壊され、既に重機も入りマンションの基礎工事中。
綱島文具店は案の定看板も無く閉まってる。シャッターの上には無線リモコンの様な
アンテナが付いており、どうもこの建物は現在ガレージとして使われてるようだ。
江森商店もシャッターが閉まっている。道行く人に尋ねてみるともう長いことシャッター
を開けてないとのこと。店の人にポチ袋のことを聞こうと思っていたアテが外れた…
LOCATION VIEWでの画像を見る限りでは、まだ店は開いているは確認できるので、
おそらく学校移転に合わせて閉店したのではないかと推測。
結局これで「袋」が売っていた店であるかどうかは分からぬままで、続けて(年配者)
数人に聞いてみるも、ここに文具店があったことすら覚えている人が居なかった。
残念ながらポチ袋のことは諦めることにして、学校周辺を一周周り保土ヶ谷駅経由で
帰ることにします。
[神奈川県] 幼少時に通った「白幡保育園」 (2008.6.18) →[見てきた]
[神奈川県] ポチ袋を売っていた雑貨屋さん (2008.6.9) →[見てきた]
[神奈川県] 横浜市西区東久保町23~22 富士見丘高中前 (2008.3.21) →[見てきた]
環八方面に行くついで、世田通から仙川に向かう途中に立ち寄り。
[東京都] [父]京王線柴崎駅が最寄「第二ふじみ荘」 (2008.6.4)
30年超となると、ついつい手を出してしまいたくなるのは何時ものことなのだけど、
国土交通省の昭和49年撮影の航空写真で隣の広大な森が気になり見に行く事に。
普段は図書館で調査してから現地訪問なのだが、今回は偶然環八・埼玉方面に用が
有ったのと、場所も分かっているので(いつもガイドで確認済)先訪問・後調査にした。
日曜日、少し離れた駐車場に車を停めて、野川を渡り現地到着。
突き当たりの路地にある建物には「第二ふじみハイツ」、右手側は「第一ふじみハイツ」
どちらも昭和40年代後半から50年代に建てられた感じで、昭和44年から有った建物
にはちょっと見えないような…微妙である。建物を写真に収め柴崎駅に向かう。
途中、品川通りに分断された路地、銭湯(煙突の銭湯が最近建てられることは無い)、
駅に向かうのに歩いていたと思われる道の途中にある古めかしい商店を幾つか撮影、
駅を通り過ぎて元の場所、品川通りに戻り今日はここまで。
週末土曜日、調布市立中央図書館へ。もう何度も来てるので蔵書検索等しなくても
置いてあるの地図・資料は覚えているものである。最も古い調布市は昭和47年版。
ここは幾つか欠番はあるものの、ほぼ毎年分開架されているので調べ易いです。
初めにふじみ荘がハイツに変わった年代を調べる。昭和60年までは「荘」であった。
しかし、ハイツ以降も建物の配置(描画)に変化は無い。これについては結構大雑把
(特に手描きの頃)だったりするので建て替えられたのかは分からない。
その他、ふじみ荘隣の森林は果実園、銭湯(寿湯)は当時からあることも確認。
昭和47年当時と照合すると現在でも残っているのは、寿湯と駅に向かう途中にある
小川商店(八百屋)位で、日曜日に撮影した建物の殆どは50年代以降であった。
(以降、投稿「建て替わったかも」の補足を兼ねます)
戻ってから地図で調べた内容と、国土交通省の各年代の航空写真を照合してみる。
GoogleEarth(現在)と昭和59年航空写真のハイツは殆ど同じだが、昭和54年撮影の
航空写真では第一ふじみ荘の位置が若干手前である(現在は奥まっている)ことと
第二ふじみ荘2棟の横向きの(階段の無い)棟が小さいことが分かる。
しかし、縦向きに建っている(階段のある)棟は49年撮影と大きさ・位置共に変わって
いないような感じもする。
ただ、49年の航空写真は不鮮明であるのと、昭和44年に存在しているアパートが
(木造アパートの償却期間も考えて)現存しているというのは考え難い。
そうなると、ふじみハイツ改名に合わせ建て替えられたと考えるのが自然なのだが、
昭和60年前後に建てられたアパートにはお世辞にも見えないし…
どう説明しようか考えた結果、名前が変わる少し前に順次建て替えられたと推測。
(結果は当時のままということでした)申し訳ありません。
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